カウンセラーのひとりごと

これまでに書き溜めた記事を毎日1つずつ、載せて行きたいと思います。

42. 自分見つめに立ち塞がる自己否定の壁

カウンセリングのイメージ

自分見つめに立ち塞がる自己否定の壁

当初、多くの方は、自分の状態や症状を、普通じゃない・恥ずかしいと認識しているので、治そう・克服しようとし、ある時点で行き詰まり、途方に暮れ絶望しています。

そんな中、自分を見つめろなんていう言葉は、どうにも怖くてたまらない。何故なら絶望している人にとっては、さらに反省しろ・頑張ってやれと言われるように感じてしまう。

これまでに嫌というほど味わってきた自分の劣意識を、更につきつけられる感じがして、更にダメな自分を実感してしまうからですね。

また上手く出来ない自分や、最後まで続かない自分にずっと嫌悪し、そういう自分を醜く汚いと思っているので、振り返るのは怖くて堪らない。

ずっと嫌ってきた自分が、やっぱり本当に救いようのないモンスターだったということが事実で、それを自分が受け入れなければならないと思えば思うほど、自分見つめは怖いと感じてしまうのですね。

あるのは自責の念…でもそれは自分を見つめることとは違うのですよ。

自分見つめの作業は、自分を変えたり評価するものではないので、頑張る必要も努力も要らないのですが、評価に敏感な方ほど自己否定感が強い傾向があるので、自分を見つめ始める当初では、そういう自分を卑下している自分、自己否定の壁が立ちはだかっていることに気づかされます。

さて、ここからどうやって進むのか?結論から言いますと、まるで自己否定の虜にでもなってしまったような自分像は、これまでの1人の世界で作り上げた虚像です。

中途半端・適当・雑・自分勝手…それら、人に許せても自分にはどうでしたか?自己否定はしてきたけど、その奥の心はご存知ないのではないですかね?

自分を見つめることでそれらが分かるのです。

………さて、ここからは少し事例を通して進めてみます………

例えば、みんなと仲良くしなさいと教わった人は、その教え通り誰とでも仲良くしようと試みるのですが、時には自分と意見が違う人や、自分と嗜好の違う人にも出会います。 この時点で、従順な人ほど自分を引っ込め、相手との距離を縮めようと頑張る。

更に、仲良く出来ない子は誰からも相手にされない、善い大人になれないなど、所謂、社会不適応とでも言われそうな価値観に怯えるほど、自分が相手に合わせる事で仲を保つようになります。

こうして無意識に慢性的な自己否定は強まってしまいます。

また逆に自分卑下があることで、自分が相手から利用されているのではないかと疑っても、その猜疑心を裁き抑える事で相手に尽くせる。

或いは興味の湧かない作業でも、自分の怠け根性がいけないのだと処罰すれば、自分の気持ちを感じず作業に向ける。

このように自分を裁きさえすれば、その関係が維持できるのです。

相手にイラついたりムカついたり憎んだり嫌ってしまう感情は押さえ込まれ、その度に自分を処罰し自分を変えようとします。 自分の反応を出して嫌われたくないし不適応者になりたくないので、自分を修正し頑張ります。

こうして自分を裁き卑下し、嫌ってしまうのが自己否定。これが自分見つめをスムーズにさせない最初の関門です。

自己否定の壁は、自分を裁き否定する事で自分の反応を押さえつけ、奥で感じている自分を隠す城壁でもあります。そしてその壁が厚くて強く自分を抑えられるほど、社会に適応できてると思い込めるような錯覚をもたらす。それが自己虐待をしているなどつゆ知らずに、です。

しかし、自分を否定して押さえつけてまでもそこに居る必要性を選択してしまうには訳もあり必然的に作られたものなので、ムリに取り壊そうとしても、勇気を振り絞っても対峙できません。

だからこそ、ここにじっくりと関わっていくことが、実はとても大事なことです。

自分を見つめるということは、自己否定の奥に入り、真意を探っていく作業です。 どう関わりたくて何を訴えたかったのか…

納得は真実を知ることでしか得られません。 他人に認められる生き方ではなく、主体性を回復し、自分が心から納得できる生き方をする為に自分を見つめるのです。

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