カウンセラーのひとりごと

これまでに書き溜めた記事を毎日1つずつ、載せて行きたいと思います。

54. 人間の対等感

人間関係のイメージ

人間の対等感

車が欲しければ、お金を貯める。 例えばベンツが欲しい。自分の給料なり貯蓄と照らし合わせ、 時間がかかりそうでも、どうしても欲しければ一生懸命貯める。 そうしてやっと手に入れた車への愛着はひとしおだろう。 また、新車が無理なら中古でもいいかとか、ベンツが無理なら もう少し安めの車にしようとか、自分の嗜好と納得に向いた車を探す。

どちらにせよ、自分の想い欲求を自分の手で掴めてこそ、 心から、嬉しさ、やったー感が沸き、当然、大事に大切に扱う。 想いに沿った欲求に沿った行動を取ると納得しやすいということや、 人の体験を奪うなということは、今までも常々書いていることですが、 そういう体験や経験こそが、貴重な貴重な人生であり大事な布石となることを、 もっと慎重に扱ってほしいと思うのです。 自分の体験でしか、嬉しいも悔しいも本当には体感できないといいたいのです。

例えば、進学や就職などは、本人に任せろということ。 決めかねている本人をとことんほっとけということ。 そこからでしか自分がどうしたいのかなど見えてこないのだから、 世間の価値観、親の想いを押し付けるなということ。 人が困っている、真剣に悩み考えている、その人の貴重な体験を 奪うなということです。

つまづいて転んた時、側にいる人がいつも手を差し伸べたり、 先回りして前にある石を取り払ってはいけない。 安易に人助けをするなということ。 本人が口火を切る前に、押し売りをするなということです。

お節介や施しなど、する方の自己満足の記録でしかありません。「かわいそう」こそ偽善です。 優しさなんていう言葉も、あえて言うなら、 誤魔化さず事実を突きつけられる勇気を優しさと呼ぶのではないでしょうか。

対等なお付き合いをするには、どんな状況下でも本人の選択をどこまでも 見ていられるか、人間尊重がどこまでできるかが重要です。 勿論、意見を言うことや、手伝いを申し出たり、相手から求められれば好きなだけ好きなようにしたらいいでしょう。 でも、感謝や見返り恩返しなどを期待したり、自分の流儀を押し付けるようでは対等ではありません。

対等の関係性では、想いの貸し借りがない。つまり、してやってると感じないし、 してもらってると感じない。 あるのは、行為に対する自分側の気持ち。礼(礼儀)。 自分の想いを相手の想いとすり替えてはいけないのです。 対等の関係では、遠慮なく発言できる、そして、遠慮なく自分を感じれる、 そういう付き合いです。

ブログ繁栄のため、バナーのクリックをお願いします

にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 心理カウンセラーへ
にほんブログ村

53. ちょっとしたいざこざを通して

人間関係のイメージ

ちょっとしたいざこざを通して

以前、親戚間でちょっとしたいざこざがあり、1人が1人を罵倒した。 それをキッカケに相手も黙っていず、ごちゃごちゃになったことがある。 あの時こう言ったとか言わなかったとか、こう思っていたとか、、

そしてそれを通して感じたことがある。 人を罵倒するのがいいとは思わないが、本音トークのキッカケとしては十分。 感情論のぶつかり合い、正論、一般論のバトルの中から垣間見える本音。 今までの誤魔化しがそっくりバレる。 これぞ人間の会話って感じがした。

聞いていて思ったのは、やはり、悔しさや憤りには必ず原因がある。 お互いに、或いはどちらかが、はなからキチンとした関係を結ぼうと思っていない場合。 或いは、片方の優劣意識から相手をバカにしているか、 もう片方が、自分を卑下している場合。

そういうものが、何かのきっかけで一気に爆発してしまう。 でも、それで破綻する関係ならそれでいいじゃないですか。 なるべくしてなると思うしね。 上っ面で繋がっているよりいいじゃん。

お互いが噛み合わなければ、同じ土俵、同じ環境の中で対話するのは無理。 それを誤魔化してお付き合いしようとするからおかしくなる。 世間のお付き合いには多い関係。 いずれにせよ、本音が出てきて初めてわかること。 そこから先の関係が妥当なんだと思う。

ブログ繁栄のため、バナーのクリックをお願いします

にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 心理カウンセラーへ
にほんブログ村

52. 親密な関係

人間関係のイメージ

親密な関係

親密な関係の獲得、 それは、自分の深いデリケートな部分に踏み込まれる可能性に対して、 恐怖や不安を冒してまでも踏み込む許可を、自分に与えられるかどうか。 したがって、自分に踏み込まれたくない領域がある以上、 親密な関係にはなれないだろう。

親密な関係の獲得、 それは、相手に気持ちでぶつかれるかどうか。 勝ち負けの外、自分の気持ちに、ただただ正直になれるかどうか。 一般論はもとより、礼儀や弁(わきま)えの類を持ち出して、 論破に終始してるようじゃ、始まらない。 理論武装を脱ぎ捨て、気持ちでぶつからなければ、壁のない関係にはなれない。

親密な関係、それは当然、相互関係でなくては成立しない。 だから、例えば食い違いが起きたとき、 気持ちでぶつかれない相手、ケンカをしたくならない相手とは、無理だろうね。

親密になれない

うちのお客さんがこう言った。 今までずっと自分を否定してきた。 自分がおかしい、自分の何かが悪いから上手くいかないんだ ・・・と、ずっと思ってきた。 だけど、気づいたことがある。 もしかしたら、私(の心)はずっと開いていた。 ずっと、ただ、仲良くやっていきたいと思ってきた。 私は開いていたんだ。 閉じていたのは相手のほうだった。 ・・・と。

そのとおり!

いや、ほんとうに、空々しい世界ですよね。 全ては、気配で伝わっているのに。 ただ、仲良くしようと、開いているだけなのに。 それが人間なのに。恐れているのは、 人を蹴落とすゲームだと気づかずに、 脳みそだけを駆使して 閉じている人たちのほう。

漂う空気に、胸くそ悪さを覚えたら、 そういう時は、離れること。 非情になること。 自分のために、相手のための、それが最高の優しさ。 自分が開いていることに気づいた人は、 もう、その感覚を置いてきぼりにしないで下さい。 自分の感覚でよかったのですから。

ブログ繁栄のため、バナーのクリックをお願いします

にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 心理カウンセラーへ
にほんブログ村

51. 信頼関係

人間関係のイメージ

信頼関係

『信頼とは対等な関係性にのみ築ける相互間の平等な利益である』 …by 静岡のカウンセラー

信頼とは、約束なり契約なりを、過不足なく、滞りなく勤められること、 それは、片方にのみ喜ばれることでも、片方にのみ利益が生まれることでもなく、 双方に同時に発生するものである。 例えば、直径20cmのイチゴのケーキを明日の3時までに依頼されたら、 直径は15cmでも25cmでもなく、全く同じ大きさの同じ味のケーキを時間通りに提供できること。 もし、直径が25cmであったりイチゴの数が多ければ、それはあくまでもサービスであって、信頼とは、本来なんら関係のないことである。

むしろ、信頼とは約束を約束どおりに果たせること。それに尽きる。 そういう信頼を感じれて互いの関係は成立する。 そこではじめて、今回はサービスしようかな、とか、 お礼しようかな、とかの気持ちにもなれる。(なれなくてもいいんですよ。) 例えばそういうパートナー同士においては、互いに出し惜しみなく思いやれる気持ちとなるのです。 それは、人間とペットとの関係にも生まれる。「互いにただ居てくれること。」何の駆け引きもなく、互いの願いが一致した場合に感じれるものでしょうね。

ブログ繁栄のため、バナーのクリックをお願いします

にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 心理カウンセラーへ
にほんブログ村

50. 本気な関係

人間関係のイメージ

本気な関係

自分を出してぶつかって、それで切れる関係なら、それはそもそもそれだけのもの。 その関係が合わないというだけ。 喧嘩してさらけ出して、そこで切れるなら、そりゃそこまで。 でも、多くの人はそこまでも行ってない。 つまり、ぶつかったりさらけ出したり喧嘩したり、 そういうことを避けて、妙に仲良しごっこ上っ面な付き合いばかり。 本気の会話などどこにもない。

虫の居所が悪い時や、ミスや思い通りにいかない時、ムカついたりイラついたりするし、 本気で付き合っている人が側にいたらそれを隠さないし、 そういう自分を出したら、そりゃ喧嘩や不穏な雰囲気になると思うんですよ。 それが出し合えない関係、そういう時に喧嘩できない関係のどこが本気なんだろう。

イラついたり時にはへこんだり、そういうことを安心して出せる相手と、 出されたほうも我慢せず、自分の意見や気持ちを その時の自分の感情のまんま出せる。 本気で怒り本気で叱れる、そういう対等さがあるから100%ガチで挑める。 全てにおいて同じ価値観の人などいない、 だからこそイヤなとこ違うところをさらけ出せ、 自分が自分らしく生きていけるよう 自分のしあわせのために、出し惜しみせず協力し合える。化かしあいではなくて、利用しあう、 それが尊重。大人な関係。本気の付き合い。

ブログ繁栄のため、バナーのクリックをお願いします

にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 心理カウンセラーへ
にほんブログ村

49. 求めているのは、アドバイスをしてくれる人ではなく、そのままを認めてくれる人です

カウンセリングのイメージ

求めているのは、アドバイスをしてくれる人ではなく、そのままを認めてくれる人です

人は、その人自身がそう思わないと変われないものです。 いくら自分のことを考えてくれる人の意見やアドバイスでも、 嫌なものは嫌だし、動けないものは動けない。 そう、行動の原動力とは自分の内側にあるのです。

となると、人に求めるもの、それは、よきアドバイスや正しい教えではなく、 ありのままの自分を認め、理解してもらえること。 そういう人に、自分が安心感を感じられるのです。

例えば、著名な学者や立派な有名人の言葉に、「凄い!明日から実践しよう」 と思っても長続きできないのは、自らが本気でなれると思ってないから、 また、本気でやろうと思ってないから。 そんな言葉より、今の自分を認めれくれる、 そのままを理解してくれる人の存在がどれ程ありがたいか。

実際そのほうが、不思議とやる気が起きるというもんじゃないですかね。無条件にそのまんまを認めること。 少なくとも親は子供にそうあってほしいものです。

ブログ繁栄のため、バナーのクリックをお願いします

にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 心理カウンセラーへ
にほんブログ村

48. 良いカウンセラーを望んでください

カウンセリングのイメージ

良いカウンセラーを望んでください

お客さんから「そう、そういうことなんですよ!」とか 「うん、その通り!」という言葉がよく出る。 特に、他のカウンセリング経験や通院経験の多い方ほど、強く言われる。

これ、気持ちや感覚が通じた証というか、 この人には伝わった・解ってもらえた!という安堵感、腑に落ちたような、 しっくりくるものを体感した瞬間なんですね。 初めて解ってもらえた伝わった喜びは安堵感を生みますが、それより、 「そう、そう!」「そういうこと!」というように、自分がしっくりくる感じ、 感覚を掴んだ瞬間を体感したということが、何より大事なんです。

そして、この腑に落ち感が、自分の心の奥方向をナビする アンテナの役目となります。 だから、先ず、この始めの、「そうなんですよ!」という体感が味わえないと、 逆にカウンセラーに解ってもらおうと説明に終始したり、自分を責めたり 又はカウンセリングを辞めてしまうことにもなってしまいます。

カウンセリングに見える方は、感受性の強い、敏感で繊細な 感性の持ち主の方が多いのですが、例えば、その感受性の深さを、 ちょっとおかしいですが数字で表したとして、 感受性の深さが5メートルの方は、50メートルの方の深さを感じ切れない。 50メートルの深さの持ち主は、その50メートルの底が支点となって 揺さぶられるので、その思いを正確に解るには、 それ相当の深さがある相手が必要となります。 海底からの叫びを波打ち際で聞こうと思っても、所詮無理なのと同じです。

つまり、 カウンセラー側にその深さがないと、相手の気持ちの機微まで感じられない ということにもなります。 これは、カウンセラーに必要とされる資質ですが、 深ければ相手のことが解るかというと、そういう訳ではない。 カウンセラーに世間の善悪や規制、優劣の差別意識が入れば、 方向を規制されてしまうし止まってしまいます。 カウンセラーに恐怖心がほんの僅かでもあれば、それも、そもそも無理なことです。

また、カテゴリーに分類して回復を目指すようじゃあ、 ひとりひとりの心の機微など見えません。 医者にそこまで求めるのは無理ということもお分かりと思いますが、 カウンセラーなら論外ですね。 カウンセリングは、感受性というか感性というか、気持ち、 総称して心についた規制とか縛りを解放して自然に戻していくことです。 自然に戻るということは、症状などが必然的に消失していくのは当たり前のこと、 つまり必要がなくなれば症状は消失方向へ向かいます。

世間ありきから、先ずは自分ありきにシフトチェンジしていくことであり、 自由を獲得していくことです。 敏感で繊細な方々の多くは、その目盛りの細かさ故に、 自分を理解されたことが極めて少ないでしょう。 敏感なので、いつもこれでいいのだろうかと思案され、思慮も深いでしょう。 また、相手を慮ったり、お世話してしまうことが多いと、 自分は置いてきぼりにされるので、気づいた時には生き辛いとなる。 過酷な境遇や理不尽な環境下では、自分を諦め、望まず、妥協し、 周囲に対し気をフル回転する縁の下の力持ちだったことでしょう。

他人の為に酷使してきたその繊細な気を、 そろそろ自分の為に使われることをお薦めします。 繊細な心の機微が伝わるカウンセラーの基では、 先ずは安堵感をもたらし、しだいに自分が顔を上げ始めます。 いかなる規制もない対話によってしか、自分発見はできません。 カウンセリングは、過去の生き辛さの謎を解く、謎解きです。 必ず全てに説明がつきますし、心からの納得をもたらすものです。 純粋で真剣な、ただただ人間同士の対話です。 気づきを促し腑に落ちる感覚、それがカウンセリングであり、 その感覚があなたの人生の羅針盤となるでしょう。 妥協せず、諦めず、心が揺さぶられるカウンセリングを、人生を選んでください。

ブログ繁栄のため、バナーのクリックをお願いします

にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 心理カウンセラーへ
にほんブログ村

PVアクセスランキング にほんブログ村