カウンセラーのひとりごと

これまでに書き溜めた記事を毎日1つずつ、載せて行きたいと思います。

27. 感謝の気持ちがわからない…食を通して

アダルトチルドレンのイメージ

感謝の気持ちがわからない…食を通して

「感謝の気持ちが解らない」とNちゃんは言う。 例えばご飯をご馳走になった時、「ありがとう」が言えない。 ありがとうの気持ちがないから言えない。ご飯を食べたときの感謝とは、シンプルに言えば「これ、美味しい!」と口に出ること。感じれること。 思ってもいないのに言う人もいるけれど。(それも礼儀のひとつでもあるけれど。) しかしNちゃんの問題は、食べることに対してメンタル的な満足感が全くないことにある。

「食」に対して、無防備に心から感じる自由がない。 いつから拒否したのか、食べること自体が窮屈で、感謝の気持ちなど出ようがないのだ。 これ、お客さんの中で非常に多いのですが、本人達にはあまり自覚が無い。 例えば…小さい頃から栄養重視で好き嫌いが許されず、 決められた物を決められた量、時間内に食べるのを強いられた、そう昔の学校給食のようにね。

食卓時の会話が親の愚痴や説教ばかりで、団欒を味わう隙がなくなるばかりか、食事に興味がなくなった…。それでは 例え美味しいものでも、美味しく味わう気持ちなど覚めてしまう。楽しむどころか苦痛そのものでしかなくなる。

食を味わうには、先ずメンタルが開かれていないと無理なのです。 ほら、やっつけで作られた料理が美味しく感じない経験がおありの方、いるでしょう。 食べれるだけマシ、と叱られるかもしれませんね。でも、生きるために食べてきた経験のある方こそ、その食事は生きるための「クスリ」であり「エサ」だったのではないでしょうか。

食を味わうということ、そこには必ずメンタル的な要素が絡んできます。それは赤ちゃんの頃から、人間が最初に満たされるべき欲求。 そこに満足感がない人にとって、人との関わりのおそらく多くの場面で、「感謝の気持ち」など、湧きようがないのは無理もないことだと思いますね。

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