カウンセラーのひとりごと

これまでに書き溜めた記事を毎日1つずつ、載せて行きたいと思います。

45. 事実を知っていく

カウンセリングのイメージ

事実を知っていく

通常カウンセリングの原則は受容と共感だと言われる。 そりゃ最もなことです。 だけど、「それが気になってるんだね、心配だね」と受容し 不安を受け止めたところで何も変わりはしない。カウンセリングは「本当のことを明らかにしていく」これが必須です。

ですから、不安や恐怖をただ事実として、その中に自分が入れるかどうか。自分の前に立ち、不利なことを否認したり自分自身をも誤魔化してきた段階から過ぎて、言ってみれば、自分から逃げなくていいんだと気づき始めること。

今までなら、親や恋人に対して、「自分は愛されているのか?」という疑念から逃れるために「自分が悪いから辛い目に合わされる」と思い込み、相手の本心から目をそむけ、自分さえ変われば、もっと自分を愛してくれると思ってきた。

しかし、「親(彼)も苦しいんだ」「自分のためにしてるんだ」くらいな誤魔化しは出来ても、根本的な「自分は愛されているのか?」の不安は消えず、渇望が見捨てられ不安となっていく。

こういう積み重ねでは、疑念を無意識に追いやり、「本当のことは聞かない」という認知パターンを作り上げ、自分を押し込めてしまう。 相手の態度や表情などの不確かな情報を推し量り、相手の喜びに貢献しそこに自分を重ね、究極のファンタジーを作り上げたのです。

親が子供に関心などなく、感情のはけ口や八つ当たりをしていたなど、受け入れられる筈はないですからね。

しかし、相手から必要とされることの必要性の獲得に必死になるも、本当に欲しいものはそこにない。だもの埋まる筈はありません。こうして誰に対しても同じようなパターンで対応することになるのです。

頭での整理

事実を知っていくには、当時の事実関係を現在の自分の頭で整理し直すこと。自分が悪いんだという「思い込み」と「自分の問題と人の問題の区別」がつくと、当時の場面場面での認知のズレに気づかされ、事実とそれに付随する気持ちが湧き上がってきます。

事実は頭で理解し、その時々の感情を吐き出しながら認知を正すのです。愛されることを必要とされることにすり替え、その為に行動する。そして、必要とされたくてやっていた自分の行動が、実は、相手こそ必要とされたくて自分に仕掛けられていたということも理解できるようになります。

人は人に必要とされたいし、誰かの必要でありたい。それは何も悪くないですよ。しかしこの場合、自分の必要性の為に「利用」し、相手からも「利用」されていることに気づいていない。そこに問題が生じる。

このような、愛されているのか?という疑念でなくとも、親の価値観の押し付けや刷り込みが日常無意識的に行なわれると、自分の認知や言動に自信をなくし息苦しくなることはあります。

この辺りまでの流れは、AC(アダルトチルドレン)の概念を使って当てはめても解りやすいのではないかと思います。つまり、頭で認知を正しく理解することで客観的に捉えられ、事実は事実ということと、私は私ということが納得しやすくなります。

そうしていよいよ準備が整うごとに、奥に控えていた自分が顔を出し始めます。

「なぜ自分は、そのような選択をしたのだろうか?」 ここからがカウンセリングの心髄。自分の心との対話です。

心の対話

いよいよ自分と向き合う段階では、自分の感覚が一切の主導権を握り、頭の会話より心の会話へと重点が移っていきます。

自分だって、やすやすと親や誰かの言う通りにしたかった訳じゃなく、そこでは相当な怒りやら強烈な嫉妬や憎悪が渦巻いていたり、意地や欲もある。 時には思い出したくもないイヤ~な感覚をも体感していく訳ですから、頭を使っているうちはおっかなくて出来ない。 生の反応に批判のないことが、安心して感覚に委ねることを許していきます。

先に書いた「感じなおし」や「自分を見つめる」という作業に繋がります。

人間、子供であろうと、その時の自分がその状況下でちゃんと決断してきています。自分の判断をしています。 仕方なくではなく、自分の為の意味・理由によって、行動を選択しています。 自分が自分を知るということは、自分の中に潜む自分の本質に触れ、深く理解し納得できること。そうする毎に、自分が自分と共にいるということだけで安心して生きれるのです。

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