46. カウンセリングで見えてくるもの
カウンセリングで見えてくるもの
お客さん達と話していて思うのは、話や訴えに筋が通っているということです。なんだけど、それについて長いこと確信が持てず、その為に、 自分以外の他者の眼を自発的に気にしてきたように思うのです。
筋というのは、話が道理にあっていること。しかし世間の次元では、筋よりもタテマエや空気の読み合いが重んじられることも多く、時に不可思議で胡散臭い大人の世界に立ち尽くすのみになってしまうのことがあります。
順序よく混乱を解き、自己否定と思い込みを外して紐解き、自分が引っ掛かかっていたものが解れば解るほど、そこに見えてくる自分の根本的な悩みの原因が、『世間は自分が納得できるほど筋の通ったものではない』ということを浮かび上がらせることもあるのです。
苦しみの原因は、その世間に自分が迎合しようとしてきたことであり、迎合できない自分は社会不適応者としてこの世界から弾かれてしまうのではないかという恐れ。
しかし実際は、迎合しようとすればするほどに出来ない自分を感じながら、自分を裁きつつも動けず苦しんでしまった。
そもそも人間は、自分が納得するようにしか生きれないし、そうでしか落ち着けない。 そうでないとそれだけストレスがかかり、息苦しさや違和感を覚え、或いは何らかの身体的症状が現れたり鬱になったりする。
世間に適応しようとして病気になる。 しかしこれがまさしく人間らしい反応の証拠であり、完璧な人間なんだということでもある。そして完璧な人間だからこそ、恨んだり憎んだり、イラついたり悲しんだりする。 そして執着する。
執着の心は決して楽なもんじゃない。でもそこには確かに生きる執念のようなものがある。だからこそ、その執着の真意を読み解き、感じきること。
例えば、憎い相手を許したければ、その前に徹底的に憎まなければ許せない。 黙って許せるほど人間は善人じゃないよ。
赦す為に憎むんじゃなくて自分の為に憎むんだ。これは難しいけども。そして復讐は別の話。
話戻して、カウンセリングでは、今まで気になっていたもの全てを、ひたすら忠実に知っていきます。 自分の納得できるものは、ただ真実でしかないのですから。
主体性の回復とおまけ
お客さんの中には、霊感や霊が見えたり、そういう特殊能力を持つ方がいらっしゃいます。 ところがカウンセリングが進み自分中心の主体的な行動へと変化していくと、その能力が薄れていくことがあります。
中にはその能力を自分仕様に使い出す方もいますが、多くは、霊に対して自ら断れたり主張したりできることで、霊が離れていったり放っておけるようになっていかれるようです。
つまり、主体性が回復されると、自分の意思で行動することに不安や罪悪を感じにくくなるので、好まないものには振り回されなくなるのです。
また、お客さんの中には、詩や絵画や音楽などの アーチスト系資質に長けている方も多いです。しかし、落ち込んだり深みに嵌っているときに作られていた作品などは、カウンセリングが進行していく中で、書けなくなったり作れなくなることもあります。
主体性が回復され、自分が深く煮詰まらなくなるので、その代償に出来ていたものはなくなり、芸風や作風が変化していくのです。
自分中心の世界観で世の中が回り、自分の歯車が大きく回りだす。能力の有無や善し悪しはともかく、一人の人間として特別な一人になるのです。
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